令和6年度 蔵前三・四丁目町会_総会が行われます。

町の紹介

蔵前三・四丁目町会は台東区の南東部に位置し、春日通りを南方向に超えた国際通りを挟んで両側の地域になります。
赤枠内が蔵前三・四丁目町会エリアです。
【町会へのアクセス】
都営大江戸線蔵前駅下車または都営浅草線蔵前駅下車
※クリックすると地図が拡大します。

蔵前には昭和54年までは蔵前国技館があり(その後墨田区に両国国技館として移転)相撲の本場所では全国から注目を集め、またメジャーなコンサートやイベントも多く開催されるなど、国技館があることで当時の蔵前という地域はとても有名でした。また昭和55年以降国技館は移転しましたが、もともと台東区にはお祭りが盛んであることもよく知られてきました。三社祭、鳥越祭など有名なお祭りがありますが、蔵前三・四丁目町会にも6月上旬には蔵前神社の例大祭があり、お隣の元蔵三町会と合同で盛大にお祭りが開催されています。
ただ、祭りの時期には多くの人で賑う蔵前周辺でしたが、観光地の浅草からは少し離れていることもあり平成の中頃までは普段(祭りの時期以外)の週末といえばとても静かな町でした。しかし近年の蔵前周辺にはお洒落なカフェやレストランなどが増え、『東京のブルックリン』などとメディアが取り上げたこともあり多くの若者が集まるようになりました。さらに御徒町~蔵前で『モノマチ』というイベントによって職人の町としても紹介され、最近の蔵前周辺はむしろ週末のほうが人が多くなってきています。
こうした地域の一角が蔵前三・四丁目町会ですが、私たちの町会の特長は、新旧老若みんな仲が良い!若いメンバーの参加者が多い!町会エリア外の多くのメンバーも積極的に協力してくれる!といったところでしょうか。。とてもいい町です(^^)。これからも多くの人が集まり、皆で協力しながら、居心地の良い町、であり続けたいと考えています。

地名の由来

蔵前という地名は江戸幕府が領他から集めた米を保管する御米蔵(浅草御蔵)が隅田川沿いにあったことから由来しています。江戸中期以降地名として蔵前と呼ばれるようになり当時は米問屋が軒を並べていたいようです。その後は昭和9年に御蔵前片町・福富町・新旅籠町など周辺九つの町を整理統合し蔵前1~3丁目となり、蔵前が正式な町名とっして使われるようになりました。さらに昭和22年には台東区の成立とともに浅草蔵前と変わりましたが、昭和39年に浅草桂町と統合され現在の蔵前1~4丁目の形態になりました(ウィキペディア調べ)。

☆☆☆☆☆☆貴重な資料です☆☆☆☆☆===台東区の江戸後期からの地図===

東京のブルックリン

ここ数年、蔵前地域は若者の間で『東京のブルックリン』と呼ばれているらしいですが、理由を調べてみました。~アメリカニューヨーク州にある5区のうちのひとつがブルックリン区で地図で見るとマンハッタンの右下、イースト川とニューヨーク港と大西洋に面しています。1990年代に国内外から多くのアーティスト達が、安い家賃とマンハッタンに出るのに便利な場所として住始め発展したのがブルックリンです。ではなぜ蔵前が東京のブルックリンと言われるかというと、
①景観的にはイースト川=隅田川が川沿いの情緒を醸している。
②アーチストの町=職人の町。
③アーチストたちが好む倉庫街などをおしゃれに改装したお店=最近の既存の建物を改装したレストランやカフェなどに若者が集まる。
といった事などが共通点として東京のブルックリンと言われているようです。

※町に大きな変化があった時や町の歴史などを今後も追記していきたいと思います。

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